「現在のようなソフトウェアの輸出が可能となる時代を迎えるまで、我々は意識や体験において長い道のりを歩んできました 。」(FPTコーポレーション会長チュオン・ザー・ビン、『FPT 13史』より抜粋)。
1986年、チュオン・ザー・ビンと12人の創立者は、科学技術を用いて国を立ち上げ、経営を行うという野望を胸にFPTコーポレーションを設立しました。FPTが歩んできたこれまでの30年を振り返るとすれば、「グローバリゼーションの3波」というべき3つの重要な時期に言及しないわけにはいかないでしょう。

第1波:1988年から1998年まで:ニッチ市場を活用
電子技術が幅広く活用され、インターネットの発展がめざましかった当時の世界において、チュオン・ザー・ビンは当時の大半のベトナム人とは異なる目で世界を見ていました。FPTは、ソ連がアメリカを含む西側諸国からのパソコンの輸入を禁止していたことに対し、目を付けました。その後すぐに、ビンは仲間と共にパソコンを購入し、ソ連に購入価格の2倍で販売することを決定しました。
100万ドルの契約書は、FPTを財政、信頼性の両面から大きく変える第一歩となりました。現在のHPやIBMに相当するイタリアの一流パソコン会社であるOlivettiの代理店となったFPTは、ソ連科学アカデミーとの協力関係を築きました。まさにこの一枚の契約書からFPTのIT部門が形作られ、その後のFPTの中核を担うようになりました。現在では、一般的にニッチ市場という概念ですが、当時のビンは早々と気づいていました。
そして、同じくこの波の中で、FPTはソ連政府をパートナーとし、大きな取引を獲得しました。FPTはベトナム政府に代わり、ソ連が建設したホアビン水力発電所の数億ドルの借金を返済しました。その借金返済は、ベトナムからソ連に消費財を輸送するという形で行われました。これにより、ベトナムは莫大な借金を返済できただけではなく、ソ連の人々の消費財の需要を満たすことにも一役買ったのです。21世紀のWin-Win-Win経営戦略を、90年代からビンは適用しており、FPTのグローバリゼーションの第1波は素晴らしい功績を収めました。

 

第2波:1998年~2014年:「巨人」との協力及び現地の文化理解
1998年、FPTはベトナムにおいて、大手IT企業となるまで成長しておりました。当時、世界経済危機の影響により、大手企業をはじめとし、全国的に景気も落ち込んでいました。
1998年、ベトナムIBM社長であるサム・ウィリアムソン氏との食事会の際、ビンは「FPTのグローバル化は新たな挑戦であり、FPTは国境を越えて、他のグローバル企業と同じく世界に羽ばたきます。FPTはソフトウェアを輸出します。」と述べました。
ビンとFPTの元取締役社長グエン・タイン・ナムは、当時最大のソフトウェア開発地であったインドのバンガロールを訪問しました。
インドをはじめ各国へ旅をすることにより、ビンはベトナム人にとってのニッチ市場に気付きました。投資資金が不足しているため、ベトナムを中国のような世界の工場にすることはどうあがいても困難です。考え得る唯一の方法は、非常に学習能力が高く吸収の早いベトナムの若者たちを頼りにすることでした。そこで、ビンは全世界的なアウトソーシングの波に乗ることにしました。物の生産は中国で、ソフトウェアアウトソーシングはインドでというのが当時の時代の潮流でした。
ビンは、「インドが、我々のソフトウェア輸出、知識経済への参入、強力で知的なベトナムの切望に対し火をつけた。」と述べました。

 

 

ビンは引き続き、大胆な決断を下しました。それはアメリカへソフトウェアを輸出することでした。2000年、百万ドルの資本金をもとに、FPTはシリコンバレーに会社を設立しました。1年間で百万ドルを使い果たしましたが、FPTを採用するアメリカ企業はありませんでした。初の失敗は、次の決断を下すきっかけとなりました。それはソフトウェアの開発手法を学習し、インドに会社を設立し、インド人の従業員の30名を採用することでした。しかし、そこでもFPTをソフトウェアメーカとして採用する企業はありませんでした。こうして、FPTの第2の海外支社は閉鎖することとなりました。
メディアや専門家たちはFPTの失敗の原因を指摘し、FPTのソフトウェア輸出を「クレイジーなアイデア」と呼びました。しかし、ここから、ビンは「巨人たち」をターゲットにする戦略を思いつきました。このアイデアは、FPTのソフトウェア輸出事業の岐路となるきっかけをつくるクライアントを呼び寄せました。
ビンは、当時のベトナムにおけるFPTのパートナーであったIBMとHPの2社に対し、「1ドン分購入をされたら、1,000ドン分購入します」と逆の宣伝文句を使いました。ビンは、IBMフランスの20名の代表者に、アウトソーシング契約に署名することを首尾よく納得させました。この契約からFPTは、IBMをお客様リストに追加しました。

 

2007年、FPTコーポレーション会長チュオン・ザー・ビン、IBMコーポレーションの副主席との面談

 

NTT、コンパック、HP、さらに、シスコなどはアプローチすべき「巨人」たちでした。ここから、FPTはターゲット市場を変更し、次のターゲットとして日本市場を選びました。
2002年、日本政府は中国とのバランスを重視した「チャイナプラスワン」戦略を打ち出しました。自動車生産にはタイ、ソフトウェアサプライヤにはインドをといったものでしたが、ベトナムには依然としてチャンスは回ってきませんでした。
日本は、世界一品質基準に厳しい市場ですが、勤勉さ、現地のビジネス文化への理解により、FPTは日本のお客様の信頼を勝ち取りました。NTT ITとの取引で最初の成功を収めたことを皮切りに、FPTは急速に売上を伸ばしました。2004年、ソフトウェア輸出事業の売上は200%増加しました。2017年に至るまで、日本は常に主要な市場であり、FPTの総売上高の58%を占める1億6,300万ドルとなっています。
第2波においても、ビンの長期的で戦略的なビジョンにより、強固な基盤を有するFPTはグローバル化に成功しました。

 

FPTジャパンホールディングス 東京本社

 

FPTソフトウェア以外のグループ子会社も海外拠点を開設しました。例えば、FPTテレコムはミャンマーおよびカンボジアへ、FPT情報システムはシンガポールおよびカンボジアへ、そしてFPT大学はラオスへ進出しました。しかし、ナイジェリアにおける失敗より、FPTの取締役は「現地の文化の理解」というグローバル化の原則を学びました。

 

第3波:2015年から現在まで:デジタルトランスフォーメーション、巨人が目指す次の頂上
デジタルトランスフォーメーションというのはビッグデータ、IoT、クラウドなどの新しい技術を活用し、会社の運営方式、リーダー、ワークフロー、文化などを変えることにより、企業を伝統的なモデルからデジタル企業に変革することです。2015年、ダボスで開催された世界経済フォーラムにおいて、初めて第4次産業革命-デジタルトランスフォーメーションについて言及されました。この概念はビンによりテクノロジー業界、特にベトナムでのテクノロジー業界において広められました。2016年6月から、共産党と政府の重要書類にこのキーワードが入っています。
この第3波により、FPTはデジタルプロバイダー、デジタルトランスフォーメーション、そして、デジタルツインになるチャンスを得ました。

第1波、第2波において、FPTは大手企業と協業しました。しかし、第3波から、FPTソフトウェアは本格的に世界の大手企業と肩を並べてホエールハンティングを開始しました。大手企業のリーダー、元首との会談で、FPTのスペシャリストはデジタルトランスフォーメーションについて議論しています。
2017年の経営活動結果報告書によると、FPTのデジタルトランスフォーメーションサービスの売上高は、50%以上となるまで成長し、テクノロジー分野の売上総額の21%を占めました。株主総会でビンは「5年後には、デジタルトランスフォーメーションの売上高は現在の1億ドルから10憶ドルまで増え、コーポレーションの売上高全体の40%を占める」と期待を述べました。
さらにビンは「現在のFPTのおかれている立場は変わりました。FPTは、Airbus、Siemens、GEなど航空、工業、エネルギー業界の世界的な一流企業を含む約500社の大手企業をお客様に持ち、彼らの重要なパートナーでもあります。」と述べました。

FPTはデジタルトランスフォーメーションにおけるグローバルリーディングカンパニーとなる機会を目の前にしています。
戦略の一環として、2018年7月12日、FPTはアメリカのテクノロジーコンサルティング企業を買収しました。1993年に設立され、2017年の売上高3,000万ドルを誇るIntellinet社は、コンサルティングマガジンに、「2013年から2016年までの期間の売上高の成長率に基づき、アメリカにおいて最も成長の早いテクノロジーコンサルティング企業である」と評価されました。これにより、FPTはテクノロジーにおける位置を高め、戦略コンサルティング、設計から実装、保守、特にデジタルトランスフォーメーションのプロジェクトで、お客様により高い価値のテクノロジーサービスを提供する企業となりました。

 

 

第3波に足を踏み入れ、ビンは再度FPTが先頭に立って道を切り拓くための世界の動向を指し示しました。
巨人は、頂上に上りつめた後、さらに高い頂上が現れなければ、坂を下るのみです。
FPTにとって、デジタルトランスフォーメーションは、次に征服すべき山の頂上であると考えています。